やはり、病院は白かった。
いや、今はそんなことを言っている場合ではない。
なんといっても、自分の子供ができたのだから。
特に欲しかったわけではないが、いればいるで、色々とやる気が出て来る。
妻の笑顔も見れるし・・・。
「どうしたの?ボーッっとして」
妻パトリシアが言った。
その腕には我が子が抱えられている。
産まれたばかりだからか、ネルガルにはどっち似かなんてわからなかった。
「ああ、あまりにうれしくてね。私にも抱えさせてくれ」
ネルガルは手を出したが、赤ん坊はその手を叩いた。
「嫌われてるみたいだ」
ネルガルは笑った。
「その内慣れますよ。ところで、名前はどうする?」
「名前か・・・。呼びやすければなんでもいいがな」
「無責任なこと言って。・・・私、考えたんだけど、ピース≠ヘどう?」
「ピース?エデン語で平和って意味の?」
「そう。ギルガメスは古エデン語だけど、世の中の平和を祈って」
「・・・でもそれは子供の名前とは関係ないんじゃないか?」
「この子が平和のために何かしてくれるように願うんです」
「そうか。いいな、ピースか。ギルガメスの人間に意味はわからないだろうな」
ネルガルと私は我が子を愛しむ眼で眺めた。
しばらくして、私とピースは退院した。
あのネルガルの自宅へ戻る。
秋篠に自慢してやろうと思ったが、秋篠にはもう子供がいるということを思い出した。養子である。
育てなくても勝手に育ってくれるからと言い、お手伝いをずっとやって来た。
その子にはまだ会ったことはないが、今はどこかにいるという。
秋篠が家に帰ることがないからか、その子もどこかを歩き回っているらしい。
それでは養子にもらった意味がない、と私は笑ったものだ。
夫ネルガルの記憶喪失も、ここ数年で気にならなくなってきた。
私の夫は今のネルガルであって、昔のネルガルではないのだから。
特に性格が変わったわけでもなく、あまり不便もしなかった。
こうやって子も産まれて来たのだし、まだ未来がある。
そういえば、「社長」はどうしているだろう。
年齢を考えれば、死んではいないだろう。
もう10年以上会っていないのに、何故か「社長」のことを憶えていた。
パトリシアがいないと何もできなかったからだろう。
「秋篠、いる?」
玄関のドアを開けて言った。
「いるに決まってるでしょ。どこに行くっていうの?」
秋篠が角のところから出て来た。
私は抱えているピースを秋篠に見せた。
「私に似て美人でしょ?」
「そう?」
秋篠はピースをまじまじと見て
「どちらかというと、私に似てるような・・・」
真面目な顔で言っている。
「どこから秋篠が出てくるの?」
私は笑っていた。
「・・・私も欲しいなあ、子供」
「養子がいるんじゃなかったっけ?」
「ああ、あれはもう育ち過ぎて可愛くないからさ」
とりあえず、居間に行った。
秋篠が紅茶を持ってきてくれる。
私はコーヒー派の夫と違い、紅茶派なのだ。
思えば、私も秋篠も、もう40近いおばさんだ。
秋篠はまだ20代くらいに見える。
私は・・・夫が言うには少女らしい。全く参考にならない。
「少し」可愛いってだけで少女じゃ、70歳の少女も人によってはあり得てしまいそうだ。
パトリシアは「少し」を強調して思った。
ネルガルは、子供が出来たからといって休める立場ではない。
未来は待っていてくれない。これからの国のために、ネルガルは働かざるを得ない。
それはわかってるけど、私は今日ぐらいは休んでもいいんじゃないかと思う。
王だって人間だ。休みも必要だろう。
赤ん坊は、悩める母の顔を、一瞬にして困った顔にさせた。
要するに、泣き始めたのである。
・・・シグムンドが帰ってきた。
いつもは帰ってくることなどほとんどないのに。
しかも、この前まではディヴァインと戦争をしていただろう。そんな暇などないだろうに。
といっても、やはり帰ってきてくれてうれしい。
子供が産まれたのだから。
もう産まれて一週間程経つ。シグムンドはそれまで帰ってこなかった。
出産に立ち会うことも、もちろんなかった。
1人の命が産まれているとき、その父は何人もの人を殺させていたのだ。
あまり気持ちのいいことではないが、ミッドガルドでそんなことは当たり前だ。
まだ大陸の東端辺りでは、体の弱い人が毒で死んでいる。
豊魁決戦時の核による被害が、環境をも汚染した。
植物は、できるだけ汚染されないよう、自ら毒をつくった。
毒で毒を制するのだ。
そのため、その付近は薄い毒ガスで満ちている。
昔からそこに住んでいる人は免疫ができているようだが、体が弱いと死んでしまう。
新しくそこに住む人もいないわけではなく、その場合は予め予防注射をする。
その効果は半年も持たない上高いので、その辺りに行く人は金持ちばかりである。
そこにいる人は、昔からいる人、事情があってそこにいる金持ち、毒の研究家ぐらいだ。
シグムンドは、子を大事そうに抱える妻を見た。
「無事に産まれたようだな」
「はい。・・・名前はどうしますか?」
「名前か・・・。そうだな・・・シグルズはどうだ?シグムンドの子として」
「いいですね。シグルズにしましょう」
妻は優しい顔でシグルズに微笑んだ。
シグムンドは、自分の体がまだ血のにおいがするので、風呂へ行った。
もう外は真っ暗。時計の針はちょうど重なって3を指している。
もうシグムンドは行って欲しくない。
あの時計の針を止められたら、時間を止められたら・・・。