なんとも落ち着いた森の中だった。
「あれが私の家だ。案内したいんだが、仕事があってね。それじゃ」
ネルガル王は帰っていった。
私はこの静かな森が気に入った。
ネルガル王の木造の家の近くに、きれいな池が小さく広がっていた。
「なんか得した気分・・・。監視するのに、こんなところにいていいの・・・?」
戸惑いながらも、私はネルガル王の家へ入っていった。
パタパタと、ハタキの音が聞こえてきた。
その音の音源へ行ってみた。
階段を上り、部屋へ入る。
「誰ですか?」
本棚をハタキで叩いているのは、ここの掃除係りだろうか。
三角巾をして、マスクを付け、いかにも掃除している人だ。
ただ、掃除のおばちゃんとは少し違うようで・・・けっこう若かった。
それも私を安心させることだった。
多分、この子は私と同じくらいの年だ。・・・つまり、私が若いということだ。
その子はやっと私の方を向いて
「あれ?・・・お客さん?」
と、言った。
なんとなくボケッとしていて、無邪気そうな顔だった。
「ええ。ネルガル王に招ばれて・・・」
「へえ・・・。ネルガル様に・・・。大丈夫だった?」
「え、何が?」
「ネルガル様は美人に弱いからねえ」
「美人・・・ね・・・。」
なかなかわかってる子じゃない・・・。
「ここもあんまり使われないから、掃除するだけで暇だったんだ」
「じゃあ、私が来て暇つぶしができるってこと?」
「そういうこと。さっそく遊ばない?」
遊ぶ、といっても、この子が楽器を次々に演奏し、私は聞いているだけだった。
この子の名前は秋篠というらしい。
漢字の名前なんて珍しい。普通、名前はカタカナだ。
漢字の名前ということは、ジパング生まれなんだろう。
ジパングとは世界の中心とされていて、世界中へ中継貿易している。
今はディヴァインの領土だ。
秋篠の演奏も終わり、もう11時なので寝ることになった。
客用の寝室へ入り、
「大変な一日だった・・・。これからどうするんだろ?」
と、小声で呟いた。
・・・ネルガルは珍しく家へ帰った。
普段は家は遠いので、適当なホテルとかに泊まるのだが・・・。
パトリシアと秋篠(他にお手伝いさんなどはいない)の眠る家が見えた。
月を映し出す池は妙に輝いていた。
裏口から家へ入る。
まだ王でなかったとき、この家に監禁状態だったので、密かに外へ出たのだ。
そのときの裏口である。
自分の家だが、やはり人がいると静かに動いてしまう。
客用の寝室のドアの前に立った。
ゆっくりと息を吐き、それからノックした。
・・・私はドアをノックする音を聞いた。
今日一日に大きなことが起き過ぎたので、寝れなかったのだ。
「誰ですか?」
「私だ。・・・ネルガルだ」
「何か?」
「ちょっと用があるんだ。・・・入っていいか?」
「いいですよ」
ネルガルが部屋に入ってきた。
私は寝るときも普段着として通用しそうな服を着るので、
 誰が入ってきても平然としていられる。
ネルガルも私の服に驚いたようだった。
「・・・君の名前を聞いてなかった」
「私はブラック・パトリシアです。・・・それだけのためにここへ?」
「・・・ん・・・そうではないが・・・うーん・・・」
ネルガル王は悩んでいた。私には何故かわからない。
「あの・・・用なら、また明日で。今日はもう遅いですし」
「・・・そうか・・・。じゃあ、明日言うよ」
ネルガル王はそう言って部屋から出て行った。
・・・・・・そして、9年が経った。
あの木造の家は、今ではすっかり白い家となっていた。
壁、屋根、柱・・・ほとんどのものが白である。
そのためか、白いテーブルに置かれたコーヒーカップも白だった。
さすがに中身は白ではないが。
「ありがとう」
男は置かれたコーヒーカップに口を付け、新聞を読んでいた。
「あなた。・・・なんでもない・・・」
コーヒーカップを置いた女が言った。
男を哀れむような目で見ている。
「どうした、パトリシア?」
男は・・・ネルガルは自分の妻へ聞いた。
「本当になんでもないの。・・・今日も遅いの?」
私は話題をそらそうとした。
夫は、結婚して5年目の10月、突然記憶喪失になった。
その頃、ギルガメス国内で内紛があり、王ネルガルの頭を悩ませた。
なんとか解決したものの、ストレスで自殺を図るようになった。
車にひかれて死のうとして、頭部を強打し、記憶喪失となった。
回復の見込みはほとんどなく、私は担当医を恨んだくらいだ。
「今日はなるべく早く帰るよ」
ネルガルは家を出た。
私が見送ると、少し遠くのネルガルは手を振った。
私はお手伝いさんがいるとはいえ、少しは家事をやっている。
だが、それも当然かもしれない。
ここには、お手伝いさんは秋篠しかいないのだから。
9年前から一緒にいたので、主従関係(会ったときからなかったが)はなく、
 よき親友だからだ。
私も王妃なので、他の人だとガチガチになって仕事にならないのもある。
秋篠はさっきのテーブルで、ネルガルの残したコーヒーを飲んでいた。
他人の家庭にここまでなれなれしくしていられるのも、
 私と無二の親友だからだろう。
「あ、起きたんなら起こしてよ。これじゃ月給減らされる」
秋篠は私に言った。
いつも私が早く起き、お手伝いの秋篠は起きるのが私より遅い。
まあ、なんといっても、今時間は朝の4時半。
秋篠が遅いのも無理はない。
・・・「社長」の会社は今も軌道に乗り続けている。
それは、私にとっては、これから死ぬ人が増えていくと聞こえる。
アルベルト計画は潰れたが、現在エデンは混乱している。
大統領を暗殺され、何人かの主要な将軍を殺された。
これも、恐らくはギルガメスの仕業なのだろうが、それを頼んだのは私自身。
今更私がそれを悔んでもどうしようもない。
エデンが今も国家として成立しているのは、ミッドガルドの支援あってのことだ。
アルベルト計画が潰れたことで、シグムンド大統領も喜んだのだろう。
ともかく、この9年間、多くのことがあった。
私は、これからはネルガルの妻として、過去を捨てたい。
これからどんなことが起ころうとも・・・。